サンシャワー 〜森美術館編〜
前回、東京にきた時は行けなかった森美術館のサンシャワーへ。
新美術館は、個人の作品が多かったけれど、森美術館は複数人のプロジェクト
や、アウトプットよりも、考え方の面白さが重点的に展示されていたような印象。
新美術館も面白かったけれど、森美術館も個人的には、研究に繋がるような
作品が結構あったので楽しめました〜。
特に面白かった作品
昔の看板を、新しい看板にしてあげるプロジェクト
確かにアジアの国行くとボロボロな看板多いよな〜って思うから着眼点面白い。
新しい看板にする代わりに古い看板をもらって展示。加えて、その変える過程のお店の歴史を店主さんからインタビューする形で映像で展示してあり、看板が展示してあるだけなのにお店だけではなく、そのお店がある集落の歴史もそのお店の人から聞くことができて、考えるきっかけになりました。
その地域について、考えるときにストレートにインタビューしても警戒されてあまり話してもらえないことも、自分のお店のルーツから叙々に聞き出すというのが、勉強になりました。
私たちの島
フィリピンのバンタヤン島で芸術を対話のためのプラットフォームとして扱うことで、コミュニティーとしての力を強め、島の人々が直面している社会的、環境的、そして経済的な問題の解決方法を共に見つけることを目標にして活動(キャプション丸写し)
自分の研究と似ているところがあるので興味があったのと、芸術といっても、アート作品というよりもフィールドワークが多い印象で、写真や冊子をと通じてその場所にいる人と作ろうとする感じと工学と組み合わせたりしているのが、いいなと思いました。
おそらく、自分のアート作品をどんっと展示するだけじゃあまり地域に入り込んだとは言いにくくて、長期的なプロジェクトになってしまうかもしれないけれど、いろんな分野のものを取り入れながら、地域に入りいく方が、住んでいる人もいきなりなんやって不審感抱かないし、いいなと感じました。
なかなか、それをやるのも難しいですが、、、。
ありがとうの拍手
映像作品
インドネシアの乗り合いバス2台を貸し切って、そのバスに乗った乗客にむけ、パフォーマンスチームがおめでとうと拍手をし、チョコレートと運賃をただにする。
基本的にインドネシアの乗り合いバスは態度が悪いとネガティブなイメージがあるけれど、それは雇い主に毎日支払わなければ行けない賃金のノルマのせいなので、そのイメージを払拭するためのプロジェクト。
フラッシュモブ的ですあ、見ててソリューションが非常にシンプルでポジティブ。これは、気軽にやりやすく、伝えたいメッセージが相手に伝わる点がよかったと思います。
これこそ、アートとか興味ないけれど、メッセージを伝えたい人に伝える良い例な気が。
全部面白かったけれど、特に面白いと感じた3作品でした。
この展覧会を見て、総じて思ったのは、正直作品のクオリティの話になると、人に見せるものとして、もっと詰められたんじゃないか(何様ですが)と思うものもあったけれど、それ以上にいろんな地域、それぞれ持っている問題に対して、どういうアプローチやメッセージを伝えられるか、をその地域やその国のアーティストだからできたアウトプットとして見れたことは非常に面白かったです。
おそらく、作者自身も、最初からアートを作ろうとしているというよりも、どうこの問題にアプローチすれば良いのか、って考えた時に結果的に今の形になり、それが海外で評価された人もいたような気がして、それを森、新美術館がバックアップして展示するということ自体、いいことだな〜と思いました。
本当、知識のない人の何様発言でしたが(笑)個人的感想として、心に留めて頂けると幸いです。
初めてデザフェスに出展!〜IAMASに入学して4ヶ月が経ちました〜
7/14 そこまでやるか展・ジャコメッティ展・アートシャワー
いつのまにか26歳 毎日全力
とうとう昨日で26歳になりました。
月曜に授業がなかったので、土日月で実家に戻り、
久々に友人とあったり、免許更新などして
充実しましたが、
着いた初日に何気なく、
(母)「まだ若いじゃ〜〜〜ん」
(私)「いやっ明後日で26歳」
(母)「(無言)結構歳だね」
の下りで、26歳になるという重みを
ずっしり感じました。(笑)
そうなんです。26歳で学生なのです。(笑)
考えてみると、
25歳になってからこの1年間は
人生でも1位なんじゃないかっていうくらい
濃厚な1年だった気がします。
この1年を時系列順にして見たら
25歳時系列まとめ (自己満)
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・クリエイティブテクノロジー局から営業局異動 (4月)
→最初は企画も営業もできたら最強やんってクソポジティブになっている
・Bapaと777塾に通う (6〜10月)
→会社外の人と知り合う機会が多くなり、少し今の仕事に疑問を抱き始める
・体に不調があわられ、ぶっ倒れる (9月)
→あれっ私のしたい事って・・・と考える。上司に辞めると報告
・IAMAS受験し合格 (10月)
・会社退職 (12月)
・海外失踪(2〜3月)
・入学(4月)
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こんな感じ。改めてみると、
あれっ営業期間めちゃ少ないやんってなるし、
大学院考えてから受ける時間の短さとか感じますね。。。
大学時代から、メディアアート制作している中でもっと面白いことしたいってなった時、結局お金が必要でそれをきちんとクライアントに伝え、お金をもらった上で、
制作したいっって思ってました。しかもどんどん新しいテクノロジーが出てくる中若手からちゃんと裁量持たせてもらえ、仕事ができるという理由で憧れの会社に入社。しかも配属先も唯一のプランナー部署で、辛かったけれど、でもきっと自分の夢へ近づいているはず、、、。と、思いながらコツコツ頑張っていた矢先での、営業足りないから営業局異動。
でも正直最初は、営業もできてプランナー職もできたら、一人広告代理店になれるじゃん!というクソポジティブな考えで営業になったものの、媒体から上がってくる数値の報告、クライアント対応、そしてエクセルにつまづく。笑
営業も頑張りたいながらも、やっぱりきちんと自分で企画し、作れる人になりたいということはきちんとしたく、ドキドキしながらBapaに応募。ポートフォリオ提出か、課題「地元に海外の観光客を増やすための作品」どっちかを選ぶのですが、デザイナー・エンジニアの方が多いのでポートフォリオ提出している人がほとんどの中、プランナーの時もパワポしか触ってないし、今エクセルだしってことで、課題提出。
地元清澄白河はコーヒーが有名なので、コーヒーの味でオススメの観光プランを
教えてくれる装置を作りました。
ほんとしょうもないけれど、夜中仕事終わった後や会社行く前に一人で作って提出し、合格(ToT)あの時のバイタリティ異常。
そして、先輩に紹介して頂いたプランナー養成の777塾も面接をし、合格(ToT)
授業の開催場所が道玄坂で会社からめちゃ近かったので、水曜日だけ19:00に抜け、
猛ダッシュで授業に向かい、また授業が終わったら猛ダッシュで会社戻って仕事する日々でした。この時のバイタリティも異常。笑
どっちも私にとってはかけがえなく、無理してでも行ってよかったなと思ってます。最初は会社を辞める気なんてさらさらなく、むしろ自分の会社のことを全然知らない人に電博だけじゃなくてこんな面白い会社があるんだよ、自分の会社でも企画案件やら面白いことできるんだよ!と、自分の会社が好きすぎて、宣伝しまくっていました。
それが、どんどん授業受けてく、仕事をやって行くうちに、ギャップが広がっていき、
自分のやりたいことと今自分がしている仕事(これから進んで行くであろう仕事の方向性)のベクトルがずれて行っていることに気づき始め、でも毎日忙殺される日々なのでもはやそれも考えられなくなった時にぶっ倒れました。その時、初めていやっもっと夢に近づくためには道があるな、なんでここにこだわっている理由があるんだろう、となり、9月に上司に伝え、12月末に退社しました。
退社するまでの3ヶ月は、 毎日とても長かったですが、もう今考えたら退社してからちょうど半年。この半年はあっという間だったなあ、、、と思います。
去年が濃厚すぎて書ききれないですが、
やめてから初めてひとり旅(アメリカ・南米)に行ったり、車運転や料理も働いてから2年のうちに5回もやらなかったぐらいなのに、上達して、人間らしい生活になってきたなあっと毎日感謝しております。笑
IAMASに入ってからは、6月初めまではグループワークでひいひい徹夜をする日もありましたが、私にとっては好きなことをやれる時間ができるってこと自体で幸せ。だからこそ、妥協しないで頑張りたいって思えます。
先生も環境もトップクラスによくて、場所が不便な分(笑)逆に研究に集中できるので、たまーに東京に行ってインプットして、帰ってきてアウトプットして。。。みたいなバランスがとても取れる気がします。(自分次第ですが)
昨日、お酒を爆飲みして夜行バスに乗り、全く覚えてないけれど
友人から26歳の抱負は?って聞かれた質問に「毎日全力」4文字返してみるのを見て、改めて頑張ろうと思いました。笑
26歳。自分が10代の時は、26歳なんて結婚していると思っていたし、まさか学生になっているなんて夢にも思っていませんでしたが、もう26歳でこうなっていたからには、毎日毎日大切にしていきたいな〜って、普通のことですが笑 思っています。